2024年7月28日、さいたまスーパーアリーナにて超RIZIN.3が開催され、RIZIN史上最多の48,117人もの格闘技ファンが会場を埋め尽くしました。
メインイベントでは朝倉未来選手が因縁の平本蓮選手相手に1RTKO負けを喫し、翌29日自身のYouTubeチャンネルにて現役からの引退を表明しました。
今から6年前の2018年8月12日、RIZINデビュー戦の勝利後マイクで「俺たち朝倉兄弟で日本の格闘技盛り上げていっちゃおうと思います」と語っていた朝倉選手。
今回は朝倉未来選手がRIZINに与えた影響をまとめてみました。
朝倉未来出現後の「RIZIN」の検索数
RIZIN設立の2014年から2024年現在までの「RIZIN」というワードの検索数のグラフがこちら。
黄色い丸部分が、朝倉未来選手が大会に出場した月です。
2018年に日沖発戦で初出場を果たしてから2024年に引退発言をするまでの6年間でRIZINに計16回出場しました。
大きく検索数が伸びている部分のほとんどに、朝倉未来選手の影響があったことがわかります。
そして平本蓮戦が行われた2024年7月、RIZINは創設以来最多の検索数を記録しました。
「朝倉未来」というワードの検索数のグラフと重ね合わせたものがこちら。
オレンジ色の線が「朝倉未来」の検索数です。
AbemaTVの「朝倉未来に勝ったら1000万円」企画が行われた2021年11月に大きく伸びた後、2022年10月のメイウェザー戦でピークを記録しています。
2022年10月のメイウェザー戦では「RIZIN」というワードをはるかに上回る勢いで「朝倉未来」の検索数が伸びていましたが、2024年7月の平本戦のタイミングでは、「朝倉未来」というワードと共に、「RIZIN」というワードも大きく伸びていることがわかります。
朝倉未来選手単体ではなく、「RIZIN」という団体そのものにも注目が集まるようになったと言えるかもしれません。
朝倉未来選手 年表
次に、朝倉未来選手の年表をまとめてみました。
2013年21歳でアマチュア格闘技団体THE OUTSIDERでアマチュア格闘家としてデビュー。
2017年年末に弟の朝倉海選手がひと足先にRIZINに初出場し、翌2018年には朝倉未来選手も「路上の伝説 兄」として、満を辞してRIZINに出場を果たします。
アマチュア格闘技大会ブレイキングダウン旗揚げ後の2021年(29歳頃)から、格闘技以外の仕事の量が増えていることがわかります。
「RIZIN」検索数のグラフと照らし合わせると、同時期頃(2021年中頃)から、大会が行われていない時期の検索数が平均的に底上げされているように見えます。
世間が大会開催時期以外にもRIZINに対して継続的に興味を持ち続けるようになったのは、朝倉未来選手のRIZINの外での活躍の影響があったのかもしれません。
最後に
RIZIN初登場の勝利後マイクで「日本の格闘技を盛り上げていく」と宣言していた朝倉未来選手。
この6年間でその言葉を十分に有言実行してきたことがわかりました。
格闘技冬の時代と言われたころから現在に至るまで、朝倉未来選手がRIZINひいては日本格闘技界に与えてきた影響は計り知れません。